雑記

「事実だとすれば」「真実だとすれば」で始まる憶測と断定のおそろしさ。

「事実だとすればひどい話だ」
「真実だとすれば、なんて悪い奴だと思う」

英語にすれば “if” で始まるような、こういう言説をよく見かける。

テレビが言っていたから、ネットに書いてあったから、週刊誌が報道していたから…。だからきっと事実に違いないよね。事実だとすれば、本当にひどい話だよね。

わかる。
そう書きたくなる気持ちはよくわかる。

自分だってそうだ。
嫌いで嫌いで大嫌いで仕方のないIさんがいる。

あの人が「犬のうんこを拾って近所の玄関に置いてまわっていた」という報道をされていたら、同じように言うだろう。いや、仮定の話にもしないかな。きっと言う。

「Iさんなら、間違いなくやるね。やると思ってた」

自分の中の狂気を認めたうえで言うんだけど。

「事実だとすれば」「真実だとすれば」で始まる言葉は、憶測だよ。事実の上には成り立っていない。

言った本人は「事実だとすれば」という枕詞を置いておくことで、逃げ道を確保したつもりかもしれない。でも、言われた側は、社会的な信用を毀損され、あとから名誉を回復できないくらいのダメージを被る。

心って、ケーキなんだろう。

とても綺麗でおいしくて、みんなをわくわくさせてくれるもの。でも、一度ナイフを入れてしまったものは、二度とは同じかたちに戻らない。「ケーキ」という本質的なものからの変化はなくても、ナイフの刺さったそれは、最初の状態とは違うものになっている。

スマホができて、便利になった。なんでも伝えられるようになった。どんなことでも知ることができるようになった。

ただ、「伝えられる」「知ることができる」環境にあるというのは、それぞれがナイフを持ち、飛び交う世界にいるのと同義であるということでもある。

憶測というナイフの怖さ。

努めて「事実だとすれば」「真実だとすれば」というifで始まる言葉を用いないようにしたい。きっと、知らないうちに何度も使っていたであろう自分を恥じながら。